雑記

毎日の鼻毛抜きを記録してる

激動❶

こうして何かを書くのも一年半振りになる。お久しぶりです。

あれからの一年半、いったい僕は何をしていたのか。演奏動画も辞め、作曲すらもストップして。なんなら最果テだって抜けた。

この一年半に何があって、今何を思うのかを後になって振り返るために書き残そうと思い重い筆を取ろうと思う。

 

・最果テ脱退について

約一年前のことだろうか。大したことはない、考え方、方向性、価値観の違い。よくある言葉に当てはめれば済む話だった。

解散から数年の時を経て復活した最果テ。ただ、時期がとにかく悪かった。世間を騒がせた新型コロナウイルスの影響をモロにくらった形だ。

再結成後最初の一手が、福井県響のホールでのフェスイベント、ロックオン。最果テにとっても、僕にとっても思い入れのあるフェスだった。

余談だが、そのホールはそのイベントののち福井駅前の再開発に飲まれて解体が決まっていた。僕らだけでなく、福井県バンドマン全員にとって思い出の場所で今後の福井のバンドシーンにとっても無くてはならない存在だったにも関わらず。仕方のないことだが県を恨んだ。

そのロックオンだが、新型コロナウイルスの影響で中止となり、同時に西山ケイン(key)、廣瀬歩(gt)の二人が脱退することになった。

いまおもえば、これが全てのホツレの始まりだったと思う。

 

最果テは主体的に行動し、企画提案する二人のメンバーの元、それに対して他メンバーがアプローチする形で動いていた。同時にそれは、各々がちゃんと自分の意見を発しなければ流れにのまれることを意味し、同時に意思決定すらも出来ない。僕は今でもこの体制が間違っていたとは思っていない。そうでなくては当時の僕達を進めるためには方法がなかった。文句があるならそのときに言えの精神だ。

 

だが、この体制は後に僕自身を苦しめた。

形だけ再結成、中身は何もないことに僕は問題を感じていた。これでは仲良しこよしの傷の舐め合いだと思っていたからだ。再結成を喜んでくれた人がいた一方で、僕達は何もしていない。ライブが見れなかったと、数少ないファンを泣かせてもしまった。

カバー動画、演奏動画形式での新作配信、サブスク、既存の曲の再レコ等の提案を幾度となく行った。が、それらが通ることはほとんど無かった。同時に、通らなかった案は対案があったわけでもなく無視だった。

 

それが一年続いた末に、堪忍袋の尾が切れた僕は最果テを後にした。やりたいことがある訳でもなく、単純にやる気がなかったと言うことだ。

 

各々のメンバーから後に謝罪を受けて、戻ってこいという話はよくされる。その一手となるのはヒノアラシなのだろうが。僕はきっと今のままでは戻らないだろう。